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2024年度第1学期終業式 高校校長訓話

おはようございます。1学期の終業式にあたり話をします。

今年度もここまでコロナ禍以前のような熱気ある学校活動が帰ってきたことを心からうれしく思います。先月は全員で熱気ある文化祭を実現し、本当にたくさんの来場者の方々に楽しんでもらいました。合唱コンクールも復活して、無事保護者の皆様に皆さんの活気ある発表を見てもらうことができました。合宿や校外学習なども通常通りの実施となり、今後も積極的に通常実施の方向で計画されています。活気ある部活動も戻ってきており、この夏にも大きな大会やコンクールに挑む人も多くいます。短期留学のプログラムも復活を遂げており、今年度についても、昨日、アメリカ西海岸短期留学参加者が無事旅立ちました。今後も明日がアメリカ東海岸短期留学組、来週23日にはカナダ短期留学組が現地へ向けて出発する予定となっています。皆さん一人ひとりが体調にはくれぐれも気をつけながら、暑さに負けることなく充実した夏休みを過ごしてくれることを心から期待しています。

さて今日の終業式にあたり、皆さんに特に伝えたいことは、自分にとって「当たり前」のことについてです。「当たり前」という言葉は、もともと中国から伝わり、日本語として定着した「当然」という言葉が由来であると言われています。「当然」の「然」の字に、より常用性の高い「前」という字を当てて、それを訓読みにして生まれたという説が一般的であるようです。他には、何かしらの場面において、分配される分を「分け前」、取り分のことを「取り前」と言うように、漁や狩りなどの共同作業の場面などにおいて、一人当たりの取り分を「当たり前」と言って、その作業に携わった者がそれを受け取るのは当然の権利であるという解釈から、「当たり前」という言葉が「当然」の意味を持つようになったという説もあるようです。いずれにせよ「当たり前」という言葉に焦点を当てると、「誰がどう考えてもそうあるべきだと思うこと、当然であること」という意味で使われています。

では今、皆さんにとっての「当たり前」はどのようなものでしょうか?皆さんの持ち物、着ている服、住んでいる場所、家族、友人、須磨学園に通っていること、勉強していること… これらはすべて「当たり前」なのでしょうか?

解釈は人それぞれ異なるという観点からすると、様々な捉え方があって然りではあります。しかし、少なくとも先ほど述べた「当たり前」という言葉の原義とも言える、与えられて当然であるものという解釈には当てはまらないのではないでしょうか?自分の親や兄弟姉妹は自分では選択の余地はないかもしれませんが、その人たちとの関係性や関わりは自分のあり方でいくらでも変わる可能性が生じます。その意味では、今の関わりは、決して当然のごとく与えられた当たり前ではなく、これまでの自分自身のあり方がつくってきたものであると言えます。持ち物はお金を払えば買うことができますが、物を買うために自分が使うそのお金は「誰か」が頑張った対価であり、そこにはその「誰か」の尽力や思いが込められています。今自分が愛用しているものは決して自然に与えられた当たり前ではないと思います。須磨学園で出会う友人にしても、須磨学園に通うと決めた自分自身の決断と、その友人の決断が、天文学的な確率のもとに一致したことによる奇跡とも言えるものだと思います。決して当たり前ではありません。勉強することは、しんどいこともあると思いますが、その取り組みを通して未来の選択肢を豊かにするチャンスが与えられていることは、決して誰しもが与えられる「当たり前」ではなく、自身がつかんでいる奇跡的なチャンスだと思います。そのように考えるにつけ、隣にいてくれる人の存在、励まし合える友人、いつも支えてくれる家族、いつも叱咤激励してくれる先生、自分が今いる環境、愛用している持ち物…そういう「当たり前」の日常を共にする存在というのは、決して「当たり前」ではなく、たった一度しかない大切な時間や貴重な瞬間を彩ってくれる奇跡なのではないかという気がします。

今の世の中は、SNSで自分の名前を出さずに無責任に人の事を誹謗中傷したり、あげ足をとったり、批判することで自身のモヤモヤを晴らそうとでも考えているかのような、何かギスギスしたものを感じることが多くあるように思います。そういうエネルギーをもっと当たり前のように自分と時間をともにしてくれる、でも決して当たり前ではない自分の大切な人たちや大切なことのために使ったほうがよいのではないかと思うのです。今はどことなくそういう本当に大切なことを、それこそ当たり前のように忘れがちになっているような気がします。自分の大切な時間と思いを、誰かの批判ではなく、自分の事を大切に思ってくれている、当たり前のように思えて当たり前ではない人たちに喜んでもらうために使って欲しいと思います。

明日からの夏休みのような、いつもとは少し違って自分で制御する時間をつくりやすいこの期間に、ちょっと立ち止まって、自分が「当たり前」であると思っていることについて、思いを馳せてみてほしいと思います。勉強のこと・部活動のこと・挨拶のこと・住んでいる場所・持ち物・友人・家族…、そしてその中で、本当はもっと感謝すべきこと、もっと理解しなければならないこと、もっと伝えなければいけないこと、もっと努力しなければいけないこと、もっと向き合わなければいけないこと…そのようなそれぞれの大切な「何か」―言葉にはできない大切な思いに至ってくれることを期待しています。

さて、高校3年生の皆さんはいよいよ勝負の夏の幕開けです。最上級生として、平素の生活でも、学校行事でも、後輩たちの模範であってくれることを期待していますが、最上級生としての集団での牽引力は、自分の夢や目標に向けて前を見据えて力強く進む個々の思いの結集であると思います。そしていつも言っているように、真に栄光を目指すのであれば、心からの「勝ちたい」という思いを抱いて、心から「勝たせたい」という思いをもった人たちのところに集ってください。言うまでもなく皆さんにとってその場所は、この丘の上であるはずです。この暑い夏も思う存分、熱い先生方を頼ってください。勝負への気運が最高の形で融合するこの場所で、いつもみんなを熱く導いてくれる先生方を最後まで信じて、最後まで全員で、受験生として、最上級生として、誇りをもってこの夏を悔いなく力強く走り抜けてください。心から応援しています。

最後になりますが、この度皆さんに白地に青でSUMAGAKUENと印字されたタオルを配布しています。このタオルは、先日壮行会にて送り出した本校の玉井陸斗君が、来るパリオリンピックにおいて、飛び込み競技の日本代表としての出場が決定したことを受けて製作されたものです。この夏はぜひこのタオルを掲げて、時に(人には当たらないように)回して、元気よく応援しましょう。また玉井君だけではなく、この夏に大きな勝負に挑む人もたくさんいると聞いています。あらゆるシーンにおいて、皆さんの汗と涙をぬぐい、明日へのエールを運んでくれるメイド・イン・パワースポットのこの特別タオルを、ぜひ有効活用してください。誰かの応援だけでなく、自分への応援用にもぜひ使ってほしいと思います。

それでは全学年の皆さん、この夏がそれぞれのターニングポイントとなるような季節となることを心から期待しています。くれぐれも体には気をつけて、休み明けの清々しい「おはようございます」の声につながるような充実した夏休みを過ごしてください。

2024年7月20日 高校校長 堀井 雅幸